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12 樹と暮らす

私はサクラの幹にそっと鋸をあてて、すっと引いた。
そして、押した。 また、引いた。そして押した。
強く握りしめた鋸の歯が深く深く刻み込まれていく。
そんなことを朝から続けている。

明日は、私が生まれ住んだ家を明け渡す日だ。
生まれ住んだ、そう一言でいってしまうのは簡単だ。
半世紀。
私は人生のすべての時間を、この家で寝起きしてきたのだ。
その家を明け渡すのだ。

私の一押し、一引きが
サクラの年輪を砕いていく。

私は、自分の人生を引き剥がすように振り返る。
決してホメられたものではない。
むしろ憎まれたことの方が多かったのではないだろうか。
それでも、私の人生であることには変わりはない。

サクラの樹は悲鳴を上げているようだ。
そしてそれは、私自身の声でもある。

「立派なサクラですね。この樹にふさわしい家を建てますよ」
新しく来る家主の言葉を思い出す。

このサクラにふさわしい??
そんな家ができるわけがない。
あのサクラは、私の家にふさわしく、何より私にふさわしくここまで育ってきたのだ。
だから、渡さない。

私の手から鋸へと、そしてサクラの幹へと力がこもる。

このサクラは、私だけのものだ。
だから、私と共に、いくのだ。
私は、最後まで憎まれたまま、いくのだ。

やがて朝が来るだろう。
その時に、サクラは私と共にある。
切り株は朝陽にあたり輝いているだろう。

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